バラ2名のあと、イナルワ3名、そしてサライ3名と、警察との衝突で犠牲者が続いて出ている。イナルワは私がたとえ話で言う東マデシ、サライは中マデシ、バラは西マデシの中規模拠点である。いずれも、ビラトナガール、ジャナカプール、ゴール、ビルガンジという大規模拠点の狭間に位置する。 ビラトナガールで警官1名が襲撃で死亡し、その警官の発砲で、相討ちの形でデモ隊に死者が出て以来、警官隊は制圧が目的で足を狙う「腰から下」への射撃を「射殺」に切り替えたようだ。一つの現場で死者が複数出る時はきまってこうだ。 デモ隊も、平和的行進から、明確な襲撃へと変質しているようだ。様々な手製の武器を持参する。私は、そういう目的の200人くらいの襲撃部隊を、選挙の時にビルガンジ郊外で見たことがある。手に手に武器を持って密集部隊を組んで、スローガンを唱和しながら歩調まで取って進み、何人かの死を覚悟で襲撃する。そこへ、プロジェクトのジープごと割って入って止めた経験がある。激しく抗議するデモ隊をなだめて、双方がしらけてお開きになった。私は地方では名士だった。 場末の駐在を守っているのは数名の警官で、小銃もボルトアクションの旧式を一丁くらいしか持っていない。襲われやすいのだ。モランで選挙監視団として行った時、目の前で警官が発砲したのだが、手が震えていた若い警官は、ボルトを操作できなくて装填もできなかった。すかさず年配の警官がそれを取り上げ、ズドンと一発空へ向けて警告射撃をやった。デモ隊はクモの子を散らすように消え去った。 こういう場合、大規模拠点都市ではなく、田舎の、警官の数も少ない駐屯地が狙われる。バラ、イナルワ、サラヒ(サルラヒ)での衝突はまさにこういう性格の衝突だ。これは、はっきりと戦術的判断が伴われている。しかも、警告射撃は規則だから必ずやるので、それを無視して襲撃しているということだ。でなければ一度に複数の死者はでない。バラの二日目の死者は、前日の報復に出たデモ隊だったはずで、はっきりと襲撃の意図を持っていたはずだ。 こう書いていて、何か空しい思いがある。早く収まって欲しい。 そういうような場面に、迷彩服でも来て、護身用の武器を携帯した自衛隊が行けばどうなるか。却って刺激してしまうのだ。やめたほうがいい。それとも、そういう場面にではなく、後方でおとなしくじっとしているのだろうか。それも、自衛隊の名誉(それがあるとしてだが)のためには、やめたほうがよい。今、調査団がネパールへ行っているようだが、私がここに書いているような生の情報を、大使館やその周辺の誰が持っているだろうか。 日本政府は、自衛隊の派遣などよりも、選挙監視団に文民を多数派遣することで、ネパールの民主過程に名誉ある地位を築く方がよい。