バラ郡の郡庁がおかれているカレイヤで二人死んだ。二日連続して死者が出たのだが、今日、木曜日は、バザールをJMFが平穏にデモをやっていると報道された。 昨日のギリジャさんの声明に、JMFその他は満足していない。今日あたり会合して結論を出す、と言っている。比例代表と小選挙区の組み合わせにするようだが、どっちにしても歯切れが悪いので、マデシの各グループは批判的だ。対話には応じると言っているので、明日からまた何か揺れ戻しが何回か続くかもしれない。ギリジャさんの健康が心配ではある。 バラ・パルサ・ロータート、とネパール人は必ずこの順番でこの三つの郡を言う。東から言えば、ロータート・バラ・パルサなのに。ずっと分からなかったが、ある時、突然分かった。 カレイヤから少し東南に当たる場所にシムロンガルという集落がある。珍しく大きな湖があって、その湖畔の村だ。そこに、ちょっとした廃墟があって猿が住んでいるのだが、それがティルフット王国の首都だった名残なのだ。だから、バラが真ん中であると人々は意識している。 仮にマデシ共和国を作れば、このあたりは西マデシ自治区。サルラヒ、マホッタリ、ダヌシャが中マデシ自治区。シラハ、サプタリ、ウダイプールが東マデシ自治区。とでもなるのだろう。 ティルフット王国は11世紀から14世紀まで続いた。一時はカトマンズまで侵攻し、盆地でも徴税をした記録がある。つまり一時的に支配したのだ。王族同士の血族関係が進み、緊張は緩和するのだが、奇計によって排斥され、どうも最後はティルフット王は毒殺された疑いが残っているらしい。暗殺した側はまだシャハではなかったのだが、王統の末代まで薄気味悪いのだろう。このシムロンガルの湖と廃墟も、猿しかいないのにテレビカメラの撮影は禁止だった。私がこっそり撮った写真が日本ネパール協会の昔の会報に載っている。世が世なら不敬罪だろうが、今はもう時効というか時代が変わったので、こういうところで平気でいえる。 カレイヤの大地主で、ティルフット王の末裔を知っている。カレイヤにちょっとした施設を建設したときに、気前良く土地を寄付してくれた。ただのさえない親爺なのに、地元の人々が、かなりの敬意をもって遇しているのが不思議だった。今は住んでないが、わしの昔の家はあそこだ、と指さすので、興味本位で近寄って見ると、東西100メートルくらいの古い廃墟で、どうみても御殿だった。 80年代後半、あのあたりでも独立派のデモや宣伝カーをよく見た。なにやら三色旗みたいな国旗まで持っているのだ。バラの人々には、だから何か矜持のようなものがあった。ここで、今回のマデシ反乱が起きたら、きっと激しいだろうと思っていたら、やはり二人も死んだ。それも、二日に渡ってだ。 バザールと言っても、警察署や役所が集まっている交差点から、東西南北に100メートルも行けば潰えてしまうような小さな町だ。 私がネパールのフィールドで最初に入ったところ、最初のプロジェクトをやったところだ。いろんな人々の顔が浮かぶ。あそこで、二人の若者が犠牲になった。何とも、もの悲しい思いである。