ギリジャさんがテレビでスピーチをした。写真で見たが随分とお年を召された。 縁あって公邸へ呼ばれたこともあるし、新病棟が完成した時、当時の伊藤大使と共に来ていただいたこともあった。15年も前のことだ。輝ける新生ネパールの首相だった。それから見ると今回は、私はもう去っていく者だ、などと気弱な発言も含めて、何とも様変わりした。 ガネッシュさんも去った。バッタライさんも、だったかどうか、記憶に定かでないが、確か亡くなったと思う。民主化後の初代臨時総理バッタライさんも病院に来てくれた。そのあとしばらくして、カトマンズのバザールの野菜屋さんでネギを買っている彼にばったり出会ったのを覚えている。あの世代の闘志とは、要するにそういう人々だったのだ。 キラ星のようなコングレスの歴史的闘志たちは、静かに退場しつつある。今回の暴動でBPの象までが破壊されたということは、そういう衝撃をギリジャさんに残したのだろう。コングレスがこれで本当に大衆政党にたちもどるのかどうか。数日前に、側近の兄弟を亡くしたこともあろうが、やはり時代の潮目なのだ。 共和制への移行、新しい選挙制度のこと、いずれもネパール百年の計に関わる大事な合意なのであるが、どうもギリジャさんに意気込みが見られない。今回のマデシ反乱にも言及しているから、それが影響したのはまちがいない。シャハ王家の去就も定かではない。暴動絡みで王の側近が次々に逮捕された。何かまだ、固まり切れていない政策のように思えてならない。 小倉さんのブログ経由だが、ヒマール誌上で、ネパールガンジのマデシ弾圧の映像が、東タライに大量に出回って、その憤激に火を付けた、とあるようだ。やはり、私の読み筋通りだった。ということは、選挙人登録をめぐって、今度は選挙でもめるということだ。 総選挙はどうなるのだろう。選挙区の区割りをかえるのは至難の技なのに、それをやるらしい。国際選挙監視団がまた組織されるのだろうか。私は2回参加したが、監視団が治安を担当するわけではない。国連のPKOが武器を管理するだけでは収まるものではない。国軍が心底そういうことに協力するのかどうか。近衛師団を始め、王党派軍人が、背広でも来て商売でも始めるとでもいうのだろうか。内戦で肥大化した国軍にだって、大量の退役が生まれるはずだ。人民解放軍の方だけに便宜を計れば、それだけで紛争の種になる。 チトワンの人民解放軍第三師団、第四師団の武器管理はどうやら国連によってうまくいっているようだ。あと、五つの師団が残っている。本当におとなしく武器を置くのかどうか。私は、表向きはともあれ、旅団規模の精鋭を三つ四つ、どこかに温存すると思う。それと、情報部隊や特殊部隊、護衛部隊は組織的に残すだろう。今までだって、パタンにある大臣クラスの公邸は軍によって完全警備されているのだ。そういう緊張が簡単に消え去るとは思えない。選挙の治安を担う軍や警察の組織が公正にできあがるのかどうか、残された数カ月でそれが間に合うのかどうか。心配は尽きない。 それにしても、マデシ反乱の第一幕はこれで終わった。ゲリラは残るだろう。だが、第二幕は選挙そのものだ。