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  歴史と民族と役者たち
[返信]
 No.070121235201340992.1.1.1.1.1    07/01/25(Thu) 05:37   by  名古屋のN [変更] [削除]
【 Re1: マデシの分布 】への返信

 谷川さんにおだてられて、私も各種ブログを覗いてみた。

 JTMMのズワラ・シンのインタビューによれば、彼等がマオイストから離反した理由とし
ては、「山の民(パハディ)」が全てを仕切っているのが不満であったようだ。組織内のカースト制も批判している。 タライはタライの者に任せろと云うような主張もしている。とすれば、マオイスト仲間の内ゲバ的な時期はどうせ終わるだろうし、選挙で民意が反映されるようになれば、それは収まるのではないか。ただ、この感情は、マラリア駆逐(完全ではなく今でもあるが)宣言後に、1960年代以降、山の民が大挙して平野部に移住して、先住民の土地を騙すようにして奪っていったことから来ており、根は深い。「独立」なんてことで片付く問題ではない。

 それに、マデシの運動は大小多くの組織や文化団体まで含めると、かなりの数だし多様性に満ちている。少数民族の文化尊重や地方分権化の流れがもっと固まれば、武闘派は存在意義がなくなる。だから、ヒンズー原理主義と接近して、独立というような実現不可能な言説に走っているのだと思う。そこへ王党派がにじり寄れば、今のような騒ぎにはなる。

 民族として彼等があげているのは、主にタルー、アワディ、ブジュプリ、マイティリの四つであり、多くはやはり東タライに属し、言語人口も600万人程度だ。タルー語を除いてこれらの言語はインド領に広く裾野を広げていて、その人々が言語分布の切れ端のようなネパール領だけで政治的に独立する気にはならないはずだ。だいたい、この四つの民族が仲良く一つの国民国家的なコミュニティを構成することは想像もできない。タライ平野を東西に走るとこの言語圏を次々に横断することになる。彼等は住み分けているのだ。私はこの人々に触れながら仕事をしていた。隣の村から言語が変わるというようなところで仕事をしていたから、それぞれの言葉が分かるローカルスタッフを配置していた。彼等の多くは大変穏やかな人々である。だから、山の民に騙されて簡単に土地を取られた。

 いつの時代もどんな文化圏でも、歴史のロマンに依拠して独立だのナショナリズムだのといった誇大妄想に走るのは、「支配」することに味をしめた一部の政治的跳ね上がりだと思う。マオイストから離脱した彼等も、そういう意味で勇ましいだけだ。
 彼等のホームページやブログでも、盛んにあの地域の歴史が喧伝されている。

 マクワンプールがキラン王国から割譲されたあと、キラン王国が東の上キラン王国と西の中キラン王国に18世紀後半に分かれた。その境目がアルン川からコシ川で、西が今のサプタリ、ウダヤプール、シラハ、東がスンサリ、モラン、シャパ、イラムあたり。山岳部も含めて二つに分かれた。中キラン王国の首都がチョウドリー、上キラン王国の首都がビジャヤプールだった。ネパールの統一王プリティビ・ナラヤン・シャハはすかさずまた攻めていく。
 中キランのチョードリー王国はわずか11ヶ月で滅ぼされるのだが、その過程が面白かっ
た。チョードリー王国のウダヤプール砦の北を守っていたのがカサ族、南を守っていたのがマガール族であったが、カサは自分達の土地「ビルタ」(恩賞で将軍などに分け与えられた土地)を守りたくて、プリティビに内通し、その部隊を引き込み、ドゥドゥコシ川を渡らせる。その部隊長がタパだった。(私のカトマンズの大家さんの御先祖に違いない。)ところが、地元の郷士のような戦士達は頑強に抵抗し、プリティビは増援部隊をおくるはめになる。そしてウダヤプール砦が陥落し、王族が上キランのビジャヤプール王国に亡命すると、チョードリーを守っていたマガールは闘わずに明け渡す。同じ山岳民族のマガールがタパ軍にもいるので、闘いたくなかったようだ。こうして1773年、チョードリー王国は滅亡。
 翌年、勢いをかってプリティビは上キランのビジャヤプール王国を滅ぼす。その時、アルン川(の支流)を部隊は渡れないとされていたのを、象に乗って部隊が渡河して一気に勝利するのである。王族はシッキム王国に亡命する。何とも、王朝絵巻を見るような物語だ。
 面白いのは、チョードリー王国に攻め入る前にプリティビが躊躇するところだ。その頃、東インド会社の英軍がタライに侵入して牽制していたのだ。その時、プリティビは軍を引きヌワコットに一旦帰ってしまう。そして、英軍が撤退するのを見計らって、一気にチョードリーに侵攻するのだ。その後、ビジャヤプール王国を攻める時も、カルカッタに遣いをやって東インド会社にビジャヤプールに侵攻する理由を述べてから行っている。 
 あのあたりは、いつの時代も、山の民と平地の民、そしてインドという三者が役者として登場するところが面白かった。ついでながら、キラン王国が二つに分裂した時は、ラサに政治的内紛で亡命していた元国王が強引に帰国したことによって、東西二つに国を分けて痛み分けとなった。チベット(中国)も影の黒子であるのは、何百年たっても変わっていないようだ。

 今、ウダヤプールには日本のODAによるネパール一の巨大なセメント工場がある。ラーハンから北へ車で五時間程の距離だ。東ネパールのどまんなかにこういうものを作るのは、流通の便もあるだろうが、神武東征ではないけれど、侵攻した先を大事に開発しないと、いつ覆されるか不安だったからだろう。それをやりすぎて、西ネパールをあそこまで低開発のままにしていたことが、失政の最たるものだったと言えないだろうか。シャハ王家だって西からの風でネパールを統一したのであるから。

 それにしても、元マオイストまでもが、こんな王朝物語を援用してマデシという純粋イデア国家を独立させようなどと夢想するところは、いかにも中世的である。それは、コングレスにしてもUMLにしても同様で、両者も既に実際に中世的王朝絵巻を何度か見せてくれている。ということは、この次もまた、21世紀の王朝物語を私達は見せられる可能性が高い。マオイスト分離派によるマデシ原理主義運動は、その第一幕であろうか。