昨日報告したが、ガス欠は深刻。23日も軍グラウンド横のガソリンスタンドからシンハダーバー、最高裁判所前を超え延々と給油待ちの車、バイクが並んでいた。パタンのUN筋向いのガソリンスタンドからは逆方向に長蛇の列。6〜7時間待ち、5リットル給油らしい。 ここで不思議なのが、順番待ちの習慣がないにもかかわらず、一列に並んで辛抱強く待っていること。こんなにきちんとルールを守ることができるのはなぜか? 車という近代精神の権化に使われているから、運転手の行動も近代的になるのか? これは、面白い仮説だが、5リットル得た後の運転を考えると、当てはまらない。では、なぜか? もうひとつの仮説は、キュー(queue)できないような人々、つまり政治家、官僚、資産家たちは、最初からこのキューには参加していないというもの。半日も給油待ちさせられるのは、キューせざるを得ない人々だけ。この仮説にはかなりの自信がある。おそらく、そういうことだろう。そうだとすると・・・・ 第一に、ネパールの労働者はすばらしい人々だということがわかる。こんな状態なら運転手はすさみ、ボッタクリも頻発するはずなのに、実際はそれほどでもない。23日も、いかにも観光客といういでたちで一切値切りもしなかったのにタメルからパタン動物園前(Staff College)まで150ルピーで行ってくれた。 もう一つは、本来、車不要のカトマンズ盆地を車社会にしてしまったことへの怒り。車のために人々が費やす膨大な労力(給油待ちなど)の非生産性、車、燃料等の輸入のための外貨消費、道路建設による税の無駄使い、文化財破壊、公害の深刻化等々。 カトマンズ盆地の車社会化は、グローバル資本主義の陰謀だ。マオイストが革命政党なら、共和制宣言と同時に、車禁止令を出すべきだ。そうすれば、カトマンズは外国帝国主義に隷属する必要はなくなる。 かつてイングランドでは羊が人を食った。いまネパールでは車が人を食っている。