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  ネパール日記(遅ればせながら)
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 No.070325004205918397    07/03/25(Sun) 00:42   by  西荻のトリケラトプス [変更] [削除]
 何か現地から発信を、と思っていたのですが、パソコンの接続がうまくいかなくてそのままにしていました。以下は、3月3日に記した日記。


 ネパールへ来て一週間。2月28日はマデシの全国バンダで、予定外の散歩となった。平野と違って首都では彼らの影響力は小さいのではないかと思っていたら、完璧なゼネストであった。
 車の走ってないカトマンズで、ラトナパークを西に抜けようとしたら、ニューロード方面からデモ隊が現れた。主にタマン、シェルパ、リンブーなどの青年だった。あの赤い旗はマデシのではない。たくさんいるかと思いきや、80人くらいだった。どこかへ集合する前に気勢をあげている感じで、人々が拍手していた。
 1990年2月18日の「民主の日」を皮切りに始まった民主化要求の最初のデモも、ニューロードのゲートを出た時は、このくらいの人数だったのを見た。たちまち警官隊に蹴散らされたのだが、人々は拍手していた。「民主の日」(ラナ将軍家専制を倒した記念日)を祝う同じ日の官製デモには、投石があった。それから約3ヶ月の激闘で民主化が達成されたのだ。
  3月1日、バクタプールへ抜けようとしたら、デモの予定とかで、リングロードのコテシュワール辺りの交差点が混雑して大変だった。見ると、一様にゼッケンを着て、赤と白のたすきを掛けた若者が、およそ30人はいただろうか、交通警官に混じって交通整理に当たっていた。聞けば、マオイストの交通ボランテイィアと答えた。その一人が頭に巻いていたスカーフがアメリカの国旗のようで滑稽であった。月に15日、交代でボランティアをしていると誇らしげに語った童顔も印象的だった。
 バグバザールからラトナパークへ出る交差点の陸橋に、巨大なプラチャンダさんの顔写真とともに、マオイストのスローガンが掲げられている。言わば、学生街のど真ん中の広告塔である。影響力の大きさを思った。町のいたるところにプラチャンダさんの顔写真付きのポスターが張られている。
 ネパールガンジでマデシとマオイストが衝突したあと、プラチャンダさんがネパールガンジのマオイスト集会に顔を出した。その時の新聞の写真に、私服だが自動小銃を持った兵士が小隊単位で多数集結して、警備に当たっているのがあった。一様にダブルマガジン(二個の弾倉を上下にずらしてテープで巻いて、2倍の弾薬を携帯する方法)を装填し、膝立てで銃を捧げ筒に構え、一斉に一方向を睨んだ精悍な顔つきは、いかにも実戦経験豊かな部隊に見えた。35000人が7カ所の駐屯地で武器を預けたが、武器は3500丁だったと国連もぼやいている。やはり、精鋭部隊を温存しているようだ。
 今日3日はポカラ。ホーリーの水掛け祭りでホテルの外には出ないことにした。宿の客たちは面白がって出ていっては、顔中真っ赤になって帰って来る。今も外でわーわーやっている。ホテルの中でも、日本の若者どもがキャーキャーやっている。
 先日、62年ぶりにカトマンズに雪が降った時、ポカラからトレッキングに出た人の話では、ガンドルング、ゴレパニ辺りに腰までの雪が積もったそうだ。雪の影響で樹木が大量に倒れ、路が塞がれて移動が数日できなかったらしい。アンナプルナ内院方面では数パーティが立ち往生したとか。
 この数日もいやに雨が続いた。感覚として、一ヶ月くらい早い。ヒマラヤの南を走る偏西風がヒマラヤをどかんと超えて北に移ると、日本の梅雨が生まれるそうだ。今年の梅雨は早めに始まり早めに終わるかもしれない。