3月30日,某政党党首と民主共和制的反カースト差別的な(丸テーブルで皆で箸を付ける)中華料理を食べたとき,雑談で日系王党派政党のウワサについて尋ねてみた。 1.逆風の王制論 某政党党首は,ウワサはもちろん知っていたが,詳細は分からない,知らないと言っていた。ただ,一般論としてはそうした王制支持党派は現状ではかなり厳しい状況にあるという。 たしかにそうだと思う。現状では,大勢に従い,共和制を唱える方がはるかに楽で安全だからだ。 2.馬の背を行く象徴君主制 いま象徴君主制を唱える者は,「馬の背」を行く覚悟がいる。国王の政治的,軍事的,経済的特権の温存に加担していると見られたら,おしまい。 だから,君主制論者こそが,国王の一切の特権を否定し,国王を無力の単なる象徴とするよう,強力に主張しなければならない。政治的,軍事的,経済的野心を少しでも感じさせたら,「馬の背」から谷間に転落する。 ましてや,日本天皇―タイ国王―イギリス女王の反動王制インターナショナルでネパール民主化に抵抗しているなどと勘ぐられたら,もっと危険だ。反動天皇主義者や天皇大好き草の根右派にネパール王制を利用させてはならない。 ネパール象徴君主制を言うのであれば,それは,天皇の政治的利用,公人の靖国参拝,日の丸・君が代強制教育,憲法違反の自衛隊の海外派遣などに断固反対するような人々でなければならない。そうした人々が唱えるからこそ,ネパール象徴君主制は説得力を持つのだ。 3.プラチャンダ天皇,ギリジャ国王 むろん,そこまでして,なぜ象徴君主制か,という疑問はあるであろう。それは,ネパール政治の現状を見ると,すぐ納得されるであろう。ネパールは,「権威」なしでは統治されない国だ。 ギリジャ・コイララ首相を見よ。つい先日まで,汚職の代名詞だった不人気ギリジャ氏が,いまや国の救世主,いわば国王だ。共産党諸派まで,そんな情けないことを言っている。本屋に行けば,はやギリジャ万歳本が並んでいる。(おみやげに数冊買った。) プラチャンダ氏を見よ。こちらはつい先日までテロリストの親玉,ネパールのビンラデン氏だった。それが,街中いたるところにプラチャンダ・ビラが貼られ,プラチャンダ・カレンダーがつくられ,プラチャンダ絶賛本が本屋にあふれている。こちらは,いわば天皇だ。 健全な感覚を持つ人なら,ギリジャ国王やプラチャンダ天皇はいやだな,と感じるだろう。千ルピー札にプラチャンダ天皇,五百ルピー札にはギリジャ国王,そしてプラチャンダ国際空港に,ギリジャ通り。「権威」なしでは済まない国だから,きっとそうなる。そうならなければ,混乱が続くだろう。 4.安全策としての象徴君主制 統治の安全とコストを考えるなら,象徴国王に「権威」を担当させた方が,はるかに合理的だ。 共和制は,主権が人民にあること。象徴君主制は共和制なのだ。そんなことも分かっていないらしい。 (注)日本も主権は国民にあり,したがって共和制。主権者国民の意思で,天皇はいつでも廃止できる。 (写真)タイ新空港の国王。タイ国王は、アジアにおける王制の機能を議論する絶好の対象だ。日本天皇、タイ国王、ネパール国王の比較研究は面白い課題となろう。 蛇足ながら、タイ新空港は、とんでもない欠陥空港だ。こりゃ、ダメだ。誰の設計か知らないが、人民(人間)無視の設計をすると、こんな馬鹿なものが出来る。改造は無理だろうから、いったん更地にして、つくり直した方がよい。