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  憲法の非民主的保守性
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 No.070513125542469897    07/05/13(Sun) 12:55   by  tanigawa [変更] [削除]
憲法は人民自身の自由をも制限するもので,本質的に非民主的・保守的なものだ。憲法が国家権力を制限し人民を守るものであることは常識だが,憲法が人民自身をも拘束することは案外知られていない。

1.人民を拘束する憲法
民主主義では,憲法を作る権利=憲法制定権力は人民にあるが,いったん憲法を作ったら,その憲法に人民自身も拘束される。人民は自由を否定され,憲法が人民を支配する。立憲主義,「法の支配」とは,そのようなことだ。

2.人民不信の「法の支配」
つまり,憲法は人間不信,人民不信の保守主義を本質としている。保守の歴史家アクトンが言ったように「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」憲法は,権力担当者(政治家,役人など)を信用せず,そして人民をも信用しない。「法の支配」こそ,人間不信の保守主義の第一原理なのだ。

3.愚かな人民世論
人民がいかに信用できないか。これについて星浩「世論は危ういか賢いか」(朝日新聞,5月8日)が次のような面白い議論をしている。

中島岳志・北大准教授の話しとして紹介されているところによると,小泉首相の靖国参拝(2006.8.15)について,事前の世論調査では反対7割,賛成3割だったのが,参拝直後には賛成7割,反対3割に逆転したという。

あるいはまた,星氏は,関西テレビ「あるある大事典」の納豆ダイエット捏造事件について,納豆を食べても痩せないことは国民の常識なのに,関テレ番組を見て納豆買いに走り,そして捏造報道が始まると,自分の愚かさを棚上げにし関テレ・バッシングに走った。

「捏造は批判されて当然だが,その番組を見て納豆を買い込んだことへの反省も大切だ。自分のことは顧みず,相手が弱いと見ると攻撃を強める風潮がある――。/熱狂する世論がいかに危ういか。ここ数年,政治やメディアは目の当たりにしてきた。」(朝日,5月8日)

人民世論の愚劣さ,危うさは,W・リップマン『世論』やリースマン『孤独な大衆』などで語り尽くされたことだ。世論は,多くの場合,バカだというのが,保守主義のスタンスだ。

4.反動的愚民観とのちがい
しかし,保守主義は,頑迷な反動主義者のように,人民はつねにバカだとする愚民観はとらない。反動は,民主主義=衆愚政治と短絡的に考え,民主主義の全面否定に陥るが,保守はそんな愚かなことはしない。歴史に学ぶのが保守の真骨頂であり,人民が歴史の叡知に沿って決定したことは正しい判断として受け入れる。

5.悪の選択としての民主主義
保守政治家チャーチルが言うように,民主主義はくだらぬものだが,悪しき政治のなかでは最善のものだ。くだらぬものだが,不完全な人間には民主主義しか使いこなせないのだ。

人民の意志は,多くの場合,愚劣だが,だからといってそれに代わるべきものがない。これは矛盾だが,その矛盾を引き受けた上で,多少ともマシな政治をする。これが保守主義だ。

6.歴史のなかの人語
アメリカ民主主義の英雄リンカーンでさえ,「多くの人々をしばらく騙すことはできる。少数の人々を長く騙すこともできる。しかし,多くの人々を長く騙すことはできない」(正確には原典参照)といっている。つまり,人民は騙されるのだ。リンカーンですら,「天声人語」などと,ノーテンキなことは言っていない。深読みすれば,人語=人民意志が天声=正しい意志であるかどうかは,歴史に照らして判断せよ,といっているのだ。

そして,歴史に照らすから,「人民」といっても,今ここに生きている人々だけではない。過去−現在−未来を通して生き続ける「人民」の正しい判断,それが何かを深慮せよ,ということだ。(むろん,この保守主義にも問題はあるが,それは別の機会に述べる。)

7.ネパールの「人の支配」
ネパールの憲法論議を見ていると,「人民」の愚劣さへの自己反省がないことが気になる。憲法制定とは,自分が信用ならないので,例外的に正気に戻ったときに自分を縛ってしまうこと,つまりリンカーンをもじれば,「人民を人民が人民のために拘束する」ことに他ならない。憲法によって,「人民意志」「人民世論」の直接支配を否定する。「人(人民)の支配」を自己否定し,自ら「法の支配」に服従するのだ。

このことが共通理解になっていなければ,いくら立派な憲法を定めてもムダだ。議会は,利益(政党,派閥,民族,地域,宗派等々)代表の闘争場となり,憲法は施行と同時に「人の支配」により空洞化されてしまうだろう。