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  宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(3)
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 No.070527162830802452    07/05/27(Sun) 16:28   by  tanigawa [変更] [削除]
3.『ヨーロッパ市民の誕生』について
さて,前置きが長くなったが,以上のような観点からヨーロッパ多文化主義の現状を見るには,どのような文献が便利であろうか? 英独仏は明治以来つねに日本の関心の的であったし,EU(欧州連合)についてもさかんに論じられている。したがって文献は無数といってよいほどあるが,入手が容易でヨーロッパ多文化主義の現状を概観するのに便利なものとしては,たとえば――
  宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生――開かれたシティズンシップへ―』岩波新書,2004
がある。そこで以下では,本書を手掛かりに,ヨーロッパ多文化主義の現状を見ていくことにする。

著者の宮島氏は,本書の著者紹介によると,立教大学社会学部教授で社会学が専門。『デュルケム理論と現代』(東大1987),『一つのヨーロッパ,いくつものヨーロッパ』(東大1992),『文化と不平等』(有斐閣1999)などの著書がある。ここで紹介する『ヨーロッパ市民の誕生』は新書であり記述は簡潔だが,そのバックにこれらの専門研究の蓄積があることはいうまでもない。以下,記述の順に従って,見ていくことにしよう。

4.「プロローグ」をめぐって
この本の理論的課題は,ヨーロッパを手掛かりとして,国籍とシティズンシップの関係を問うこと,あるいは個人―地域―国家―EU(―世界)の関係を問うことであるといってもよい。これは興味深い課題である。

(1)選択としての国籍
冒頭でヨーロッパに住む3人の事例が,まず紹介されている。
[初老婦人]ドイツからベルギーへ亡命,ドイツ国籍剥奪。無国籍のままベルギー在住。「ヨーロッパ人」になりたい。
[女子学生]父はユダヤ系アメリカ人,母はオランダ人。本人はパリ生まれでフランス人。
[レストラン経営男性]アルジェリアから10歳の時フランスへ。アルジェリア国籍のムスリム。フランス生まれの子供はフランス国籍となる。

以上のような事例がどの程度あるのか分からないが,少なくないことは十分に想像できる。ヨーロッパには,このような人々,あるいは二重国籍,多重国籍の人々が多数住んでいる。彼らにとって,国籍は本人の意思による選択の問題となっているのだ。

(2)地域住民としてのシティズンシップ
こうした居住国の国籍を持たない人々がヨーロッパで普通に生活できるのはなぜか? それは,ヨーロッパがシティズンシップを住民に広く認めているからだ。

「シティズンシップとは共同体と自己とのかかわりを意味する」(p.v)

外国籍の住民にも,地方選挙権や労働者としての権利,社会的諸権利を広く認める。移民にも難民にも外国人労働者にも,一定の条件の下に,地域住民としてのシティズンシップを認め,受け入れているのだ。

(3)自然なものとしての日本国籍
これに対し,日本人にとって国籍は自然に与えられるもので,通常はほとんど意識しない。

「日本人は今生きている社会と自分との関係を考えるとき,意志,選択,契約という観念にはほとんど思いいたらない。」(p.v)

日本人は,国籍を自然なものと感じているから,その裏返しとして,在日外国人の権利については鈍感,冷淡だった。日本人の多くは,外国人から住民としての権利の問題を問いかけられるまで,そのことについて真剣に考えてみようとはしなかった。

ところが,こうした状況は,近年,大きく変わりつつある。たとえば,在日コリアンの訴えに対し,最高裁は1995年2月,地方選挙における永住外国人の選挙権は憲法違反ではないという判断を示した。また一方,日本人の国際結婚や外国移住も増え,日本人自身の問題としても二重国籍や,国籍とは別のシティズンシップの問題に取り組まざるを得ない状況になってきた。つまり――

「ヨーロッパで提起され,論議され,取り組まれてきた問題が,実はもう日本の問題にもなりつつある」(p.viii)。

(4)EU―日本―ネパール
日本は民族的文化的均一性の高い国であり,これまで多文化・多民族の問題には真剣に取り組まず,したがってそうした問題の扱いには慣れていない。だからこそEUのシティズンシップ問題は日本にとって特に示唆的なのである。EUの試みから私たちは多くのものを学ぶことができるであろう。

さらに,このEUとも日本とも異質のネパール,そう,あの一周遅れの多文化先進国ネパールを比較対照に加えると,議論は一層面白くなる。宮島氏は,もちろんネパールには一言も触れていない。これは,私が私の関心からここで追加するにすぎない。多民族,多文化は,先進諸国の問題である以上に途上国の問題だからである。

一方にEU,他方にネパールをおくことにより,私たちの多文化主義の議論は幅と深さを一層増すことができるものと期待している。