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  宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(8)
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 No.070610204008656787    07/06/10(Sun) 20:40   by  tanigawa [変更] [削除]
勝 崑茖犠蓮EUシティズンシップの理想と現実/第6章 移民とローカル・シティズンシップ」について

■(テキストの前に)EUの帝国化とアナクロ安倍首相
EUは近代国民国家を乗り越えようとする壮大な試みであり,そこには多くの試行錯誤があるのはいうまでもない。それはある意味では古代「帝国」あるいは中世「キリスト教有機体」の復興であり,未来のグローバル「帝国」(ネグリ),「世界市民」の先駆でもある。アメリカはもともと国家連合(United States)であったし,ヨーロッパのEU化が進行すれば,いずれ東アジア連合,南アジア連合も現実化し,国際連合(United Nations,諸国民連合)がそれら全体を治めるグローバル統治機関として存在感を高めていくだろう。

安倍首相のようなアナクロ・ロマン主義者がいくら国粋ナショナリズムを唱えようが,これはナイーブな21世紀のドンキホーテ,グローバル帝国化の風車に跳ね飛ばされるだけだ。ドンキホーテのように一人で風車に突撃するとロマンチックでカッコよいが,二流ロマン主義者は他人まで道連れにしようとする。カッコよいと思っているのは本人と取り巻きだけで,はた迷惑,ロマンも何もあったものではない。

安倍首相の大嫌いな進駐軍押しつけ憲法には「国籍を離脱する自由」(第22条)が保障されている。安倍ドンキホーテ首相が改憲し日本人を日本国家に縛り付ける前に(もちろん徴兵のため),さっさと国外脱出,EU市民にでもなってしまおう。

そもそも日本人を日本国家に縛り付け,一億火の玉,グローバル化の風車に突撃させようという発想が幼稚だ。本物のロマン主義は,本来,個人的,革命的なもので,群れて右往左往し,破滅に向かうようなものではない。安倍首相の惨めな駄作『美しい日本へ』については,拙論参照。http://nepalreview.spaces.live.com/Blog/cns!3E4D69F91C3579D6!483.entry

安倍首相のアナクロ国粋主義は全くの観念論であり,日本人に多少とも理性が残っておれば,いずれ正道に戻るはずだが,世界のグローバル化の方はそうはいきそうにない。世界が匿名帝国権力への隷従に向かうか,それともネグリが望むようなマルチチュード(民衆)の自由な連帯に向かうか。

EUは,現代のこの根源的な問題を考えるために不可欠の先駆的な試行事例といってもよい。そして,一周遅れの先頭を行くネパールも,一周遅れを自覚しておれば,この世界史的課題に大きく寄与し,一周遅れを一気に挽回し,先頭集団に追いつけるかもしれない。頑張れ,ネパール!

と,またまた前置きが長くなってしまった。以下,第5,6章によりEUシティズンシップの現状を見ていくことにしよう。

1.連合市民権
本書によれば,EU域内では,国家の枠を超えたものが多数ある(p106-117)。
 (a)タリス(高速鉄道)=仏,蘭,独,ベルギー共同出資。パリ―ブルッセル―オステンデ―アムステルダム―ケルン。
 (b)ユーロクラット=EU公務員

EUには,EUデニズン(「定住しながら帰化しないEU出身者」p112)が550万人(2001年)もいる。彼らにとって,社会経済的不利益はもはやほとんど無い。EUはマーストリヒト条約で「連合市民権(Citizenship of Union)」を定め,社会経済的諸権利を保障し,制度の共通化を進めている。
 (a)移動の自由(マ条約第8条A)
 (b)参政権(第8条B)「連合の市民は,その滞在国の市町村選権挙,被選挙権を,その国の国民と同じ条件で有する。」
 (c)外国での被保護権=自国の在外機関がない国では他のEU加盟国の機関の保護を受ける。
 (d)勤労の権利=EU内では,労働許可は不要。求職・就職は自由(公務員を除く)。
 (f)職業資格の共通化=医師,看護士,美容師,理容師などの資格を相互承認。
 (f)社会保障=年金は各国の運用だが,加入期間は通算できる。これにより,国外への移動,就職が容易,安全になる。

著者は違いの方を強調するが,これは古代ローマ帝国の市民権に似ている。「さかのぼれば,古代ローマ帝国のシティズンシップ,すなわち『キヴィタス・ロマーナ』も,従軍義務とひきかえに,民会の選挙・被選挙権,土地所有権などを認め,帝政期になると,地中海を取り囲み,アフリカ北岸からメソポタミアまでを覆う,おそろしく広大な地域に生きる成人男子にこれを付与していた」(p115)。

2.ヨーロッパ・アイデンティティの弱さ
このようにEUはボーダレス化した。「国家主権を可視的に象徴するものに国境検問,税関,通貨,軍隊,国語などがあるが,少なくともこのうちの最初の三つの要素は,EUの中で影が薄くなっている」(p116)。

しかし,その一方,ヨーロッパ・アイデンティティは,まだ弱いという。

「人間はもともと『多・アイデンティティ的な存在』だと主張する社会学者エドガール・モランに同意するなら,自分をもっぱら『フランス人』とか『イギリス人』と考える者は相対的に減っていくと思われる。と同時に,『ヨーロッパ人』という極に集中するようなアイデンティティが生まれるとも考えられない。また,『人類』というアイデンティティは人々の意識の中ではなかなか成立しないが,といって人びとは人類的レベルでの思考をしないわけではなく(地球環境問題など),ヨーロッパ・アイデンティティも何かしらそうしたものに似ているように思われる。」(p117)

ちょっと歯切れが悪いが,おそらくこれが現実であろう。方向としては,そちらに向かう。これはまず間違いない。

3.参加によるアイデンティフィケーション
アイデンティティは,その社会への参加なしには生まれない。EUは,国家レベルでは難しい外国人の参加を地方レベルで促進しようと努力してきた。「今日のヨーロッパ諸社会は,『参加』を合い言葉にかかげる分権化社会を自任している」(p128)。

 (a)ベルリン市(人口350万人,外国人40万人)=二重国籍を認め(条件付き),帰化を促進。また,職業訓練,ドイツ語教育も支援。
 (b)ニュルンベルク市=外国人会議設置(1970年代)
 (c)マント・ラ・ジュネ市(仏)=地区会議(1993〜)
 (d)マルセイユ市=「希望のマルセイユ」1989-95頃設置。諮問機関。各民族,各宗派を承認し,補助金を支給。アイデンティティの多数性を許容。(p128-146)

フランスの場合,こうした多文化主義政策は,共和国の政治の普遍主義,非宗教性と真っ向から対立する。しかし,それでも参加を通して,各民族,各文化の人々を市民化しようとしているのである。

これは,私には一種のアイデンティティ競争のように見える。人間が多アイデンティティ的存在であることは間違いないが,多アイデンティティの平和共存はなかなか難しい。どのレベルの共同体ないし社会が,最重要のアイデンティティの位置を占めるか? 一つに限定する必要はないとはいえ,状況が危機化すれば,その選択は必ず迫られる。「アイデンティティ政治」においては,それは実利とも不可分の関係にあり,そう簡単には決着はつかない。

3.移民のEU市民権排除
この観点から注意すべきは,EU市民権の排外性だ。著者によれば,EUは域内諸国民にはEU市民権を認めても,域外からの移民には,いまのところ同じ権利を与えてはいない。つまり,EU市民権は域内各国の国民に限られ,帰化条件は各国に委ねられているからだ(p120-124)。域外からの移民→EU各国への帰化→EU市民
 (a)血統主義=伊,オーストリア
 (b)出生地主義=仏,蘭,独(条件付き)
 (c)二重国籍=英(旧植民地出身者)

この帰化条件の違いにより,同じ移民であっても,EU市民権の扱いが大きく異なることになる。これは矛盾といえば矛盾だが,過渡期のものであろう。

これよりもむしろ大きな問題は,本書では触れられていないが,EUが市民権を拡充しアイデンティティを強化して行くにつれ,EUが全体としてEU市民を非EU市民から防衛するという役割を担うようになるのではないかということである。域内では多アイデンティティを認めようとするEUが,外に対しても開かれていることは可能か? これは,グローバル市民化を考える場合,避けては通れない難題である。

■(テキストの後で)年金通算の合理性か痩せ我慢の美学か
デニズン,特に二重国籍は面白い。たとえば,日本とネパールが二重国籍になれば,交通が自由となり,市民には国家選択の自由が生まれる。ネパールは地理的にも経済的にも難しいとしても,韓国となら,できそうな気がする。九州からは東京より韓国の方がはるかに近いから,九州=韓国共同体がすぐにでも形成されるに違いない。

そうなれば,年金の通算も必要になる。知り合いの在日外国人は,いつ他国勤務となるかわからないからとアメリカの保険会社の個人年金に加入している。通算が制度化されれば,諸国政府が連帯して個人年金を保障することになる。これは面白い。

しかし,これには別の側面もある。国家あるいは超国家機構による管理強化,背番号制だ。

実は,私の場合も,3年間ほどの国民年金加入不明期間がある。納付しているはずなのに,記録がない。20代前半,住所不定,不規則労働で,大阪どん底生活をしていた。釜が崎(実態隠蔽言い換え地名「愛隣地区」)の端っこの方も知っている。食パンの耳をかじりながら何とか生きのび,やっと定職に就いた。その間の年金納付記録がない。親不孝息子でも野垂れ死には忍びないと,いまは亡き父が納付しつづけてくれていたのだ。こら!,社会保険庁,どうしてくれるのだ。40年も前の領収書などあるはずがない。霊媒師に頼んであの世の父を証言台に立たせようか。

ここで困った選択を強いられる。社会保険庁のずさんな年金管理体制に対し,いますさまじい猛攻撃が起こっている。一億火の玉になって怒り狂い,社会保険庁をつるし上げ,責任追求をしている。私自身被害者だから,その怒りはよくわかるが,実は政府は内心ではこの事態にほくそ笑み,チャンス到来と大喜びしているはずだ。国民一人一人の一生がかかっている,絶対間違いの無いようにしっかりやれ,そう世論が一致して要求すれば,政府は待っていましたとばかり,喜び勇んでやるに違いない。国民に背番号を振り,一元管理する。そうすれば合理的であり,万が一にも間違いは生じない。

すでに年金番号はあるが,これはまだ不合理・不完全。私自身の共済年金も,問い合わせをしているのに,3カ月たっても加入期間がわからない。40年前の真面目な地方公務員時代の納付記録が消えているかもしれない。国民年金が消え,地共済年金まで消えた? こら!,公務員共済組合,一体どうしてくれるのだ。

こんなていたらくだから,絶対間違いの無いように国民総背番号制にし,国家が一元管理せよ,という要求が出るのも分からぬではない。しかし,である。ここはぐっと我慢。 自由は,実はこんな非合理とともにある。年金くらいもらえなくても,自由があればよい。大いなる痩せ我慢! カッコよい。が,そうはいっても,やはり年金は欲しい。

こうして結局は政府に対し行政の合理化を要求することになる。それは,先述の通り官僚制化の要求であり,安全だが自由なき鉄の檻への道だ。

年金の国際的通算とは,この合理化・官僚制化を超国家的レベルでやることに他ならない。通信技術の発達で,やろうと思えばこれはすぐにでもできる。世界中どこにいっても個人識別番号で,その経歴が全部瞬時にして分かる。便利,安全,確実には違いないが,人は本当にそんな世界に住みたいと思うだろうか?

EUは地域内に怪しげな前近代的伝統を無数にもっている。イギリス上院など,非合理のデパートだ。ネパールの合理的共和制論者が見たら卒倒するに違いない。だから,皮肉なことに,EUは年金通算などで統治を少々合理化,近代化しても大丈夫だ。

危ないのは,アメリカや日本,そして途上国だ。ヨーロッパは,非合理なもの,前近代的なものと数百年にわたって真剣勝負をし,そして,その結果,それらの存在意義を理解し扱い方にもかなり習熟してきた。安全と自由,合理的効率と自由のギリギリの二者択一を迫られたら,自由をとるのがヨーロッパだ。残念ながら,アメリカや日本,そして途上国には,まだそのような成熟した自由の伝統はない。

国境を越えて人々が交流する世界,そこに向かうことは間違いないが,その代償が何かはまだよくわからない。EUの先行実験を見守りたい。