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  自由の代償
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 No.070625095527233196    07/06/25(Mon) 09:55   by  tanigawa [変更] [削除]
権力はしたたかであり,しばしば,人民の要求を逆手にとって支配強化する。日本の年金問題も,用心しないと危ない。6月10日,私はこう書いた(少々長いが関連部分を抜粋)――

■年金通算の合理性か痩せ我慢の美学か
デニズン,特に二重国籍は面白い。たとえば,日本とネパールが二重国籍になれば,交通が自由となり,市民には国家選択の自由が生まれる。ネパールは地理的にも経済的にも難しいとしても,韓国となら,できそうな気がする。九州からは東京より韓国の方がはるかに近いから,九州=韓国共同体がすぐにでも形成されるに違いない。

そうなれば,年金の通算も必要になる。知り合いの在日外国人は,いつ他国勤務となるかわからないからとアメリカの保険会社の個人年金に加入している。通算が制度化されれば,諸国政府が連帯して個人年金を保障することになる。これは面白い。

しかし,これには別の側面もある。国家あるいは超国家機構による管理強化,背番号制だ

実は,私の場合も,3年間ほどの国民年金加入不明期間がある。納付しているはずなのに,記録がない。20代前半,住所不定,不規則労働で,大阪どん底生活をしていた。釜が崎(実態隠蔽言い換え地名「愛隣地区」)の端っこの方も知っている。食パンの耳をかじりながら何とか生きのび,やっと定職に就いた。その間の年金納付記録がない。親不孝息子でも野垂れ死には忍びないと,いまは亡き父が納付しつづけてくれていたのだ。こら!,社会保険庁,どうしてくれるのだ。40年も前の領収書などあるはずがない。霊媒師に頼んであの世の父を証言台に立たせようか。

ここで困った選択を強いられる。社会保険庁のずさんな年金管理体制に対し,いますさまじい猛攻撃が起こっている。一億火の玉になって怒り狂い,社会保険庁をつるし上げ,責任追求をしている。私自身被害者だから,その怒りはよくわかるが,実は政府は内心ではこの事態にほくそ笑み,チャンス到来と大喜びしているはずだ。国民一人一人の一生がかかっている,絶対間違いの無いようにしっかりやれ,そう世論が一致して要求すれば,政府は待っていましたとばかり,喜び勇んでやるに違いない。国民に背番号を振り,一元管理する。そうすれば合理的であり,万が一にも間違いは生じない。

すでに年金番号はあるが,これはまだ不合理・不完全。私自身の共済年金も,問い合わせをしているのに,3カ月たっても加入期間がわからない。40年前の真面目な地方公務員時代の納付記録が消えているかもしれない。国民年金が消え,地共済年金まで消えた? こら!,公務員共済組合,一体どうしてくれるのだ。

こんなていたらくだから,絶対間違いの無いように国民総背番号制にし,国家が一元管理せよ,という要求が出るのも分からぬではない。しかし,である。ここはぐっと我慢。 自由は,実はこんな非合理とともにある。年金くらいもらえなくても,自由があればよい。大いなる痩せ我慢! カッコよい。が,そうはいっても,やはり年金は欲しい。

こうして結局は政府に対し行政の合理化を要求することになる。それは,先述の通り官僚制化の要求であり,安全だが自由なき鉄の檻への道だ。

年金の国際的通算とは,この合理化・官僚制化を超国家的レベルでやることに他ならない。通信技術の発達で,やろうと思えばこれはすぐにでもできる。世界中どこにいっても個人識別番号で,その経歴が全部瞬時にして分かる。便利,安全,確実には違いないが,人は本当にそんな世界に住みたいと思うだろうか?

EUは地域内に怪しげな前近代的伝統を無数にもっている。イギリス上院など,非合理のデパートだ。ネパールの合理的共和制論者が見たら卒倒するに違いない。だから,皮肉なことに,EUは年金通算などで統治を少々合理化,近代化しても大丈夫だ。

危ないのは,アメリカや日本,そして途上国だ。ヨーロッパは,非合理なもの,前近代的なものと数百年にわたって真剣勝負をし,そして,その結果,それらの存在意義を理解し扱い方にもかなり習熟してきた。安全と自由,合理的効率と自由のギリギリの二者択一を迫られたら,自由をとるのがヨーロッパだ。残念ながら,アメリカや日本,そして途上国には,まだそのような成熟した自由の伝統はない。 (http://nepalreview.spaces.live.com/blog/cns!3E4D69F91C3579D6!631.entry

――朝日記事(6/23)によれば,政府・与党は年金・健保等を住基ネットと統合した「社会保障カード」の検討を始めた。私が危惧していた国民総背番号制だ。これは合理的な反面,自由にとっては極めて危険だ。

ここで私たちは合理性・安全か自由かの選択を迫られる。自由の代償というリアルな政治認識だ。

同じことが,people\\\'s powerについてもいえる。人民権力,人民意思つまり民主主義は,「危険物につき取扱注意」であり,つねにその代償を考えるリアルな政治認識が求められる。政治においても,「タダほど高いものはない」。