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  比較性治学―ネパール・西欧・日本
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 No.070628200537159041    07/06/28(Thu) 20:05   by  tanigawa [変更] [削除]
性治学は政治学よりおもしろいが,学校で開講するとコワ〜イ保護者や文科省に叱られるので,ネット開講にとどめる。

1.ヒンズー教の神秘的性タブー
この4月15日,リチャード・ギアがエイズ撲滅キャンペーン会場でインド女優の頬にキスをして大問題になった。ヒンズー原理主義者を中心に,ヒンズーの性タブーを破ったとしてギアを糾弾し,「公然わいせつ罪」でインド地裁に逮捕状を発行させた。幸い,ギアは最高裁の差し止め命令で逮捕を免れたが,これによりインドの性タブーの厳しさが世界中に知れ渡った。

それにしても奇妙だ。あちこちの寺院や聖所に露骨な性交図,性交像が氾濫しているのに,たかが挨拶代わりのキスくらいで,どうして「公然わいせつ」となるのか? やはり,ヒンズー教独特の性タブーのせいといわざるを得ない。

こうした性タブーの健在は,ネパールの各HPをみても分かる。一時,かなりエロチックな映像が氾濫していたが,最近,ほとんど見られなくなった。日本よりはるかに健全だ。

これはマオイスト同志の力ではない。人民解放軍の30〜40%は女性兵士(女性解放万歳!)なのに,PLAが性解放区にならないのは,おそらくHPを自主規制させているのと同じヒンズー教性タブーのおかげであろう。

まったくもって神秘的。マヌ法典などで性的汚れをおそれ女児に幼児婚(8歳で結婚)を強制する一方,寺院などでは性器・性交の大公開。もしリチャード・ギアさんがそんな風景を見ていたのなら,「なんで挨拶キスくらいで!」とびっくり仰天したに違いない。本当のところは本人にしか分からないが。

2.キリスト教の倒錯的処女崇拝
ヒンズー教原理主義は困ったものだが,それでもタブーさえ守れば,性を開けっぴろげに開陳してもよいというのは,まことに結構なことだ。

これに対し,トンデモナイのがキリスト教。性=罪であり,しかもそのすべての責任を女性になすりつけている。男性の一人として,男のあまりの意気地なさ,卑劣さに恥じ入るばかりだ。

キリスト教は,男神が世界を創造し,男神が全人類を救済するなどと威張っていながら,性=罪は全部女性に押しつける女々しい宗教だ。

むろんキリスト教は大宗教であり,膨大な神学の蓄積がある。だから,こんな悪口を論破する理論は,当然,用意されているに違いない。この程度の悪口で怒るほど,キリスト教は柔な宗教ではない。それを前提に言うのだが,やはり父=息子の宗教は女々しい。

この思いは,甚野尚志『中世ヨーロッパの社会観』(講談社学術文庫,2007)を読んで,ますます強くなった。この本は,1992年に出版された本の文庫版。たいへん面白い。傑作だ。そのなかで,う〜んとうなり絶句したのが,キリスト教会愛用の蜜蜂の隠喩だ。

著者によると,中世において,蜜蜂の蜜は貴重な甘味料であり,蜜ロウは教会祭壇のロウソクとして使用された。そして,王蜂を中心とする蜜蜂の調和的分業秩序は,あるべき人間社会の隠喩として盛んに使用された。

中世キリスト教会の蜜蜂隠喩のタネ本は,古代ローマのウェルギリウスの『農耕詩』らしい。

「ある者は食料を集めることを任務とし,野外で働く。
 またある者は家の敷地の内にあって,
 水仙の涙と,樹皮から集めた粘り気のある樹脂で
 巣の最初の土台を作り,続いて,ねっとりとした蜜ロウの壁を取りつける。
 ある者は民族の希望たる若者を外へ連れ出し,
 またある者は,いとも純粋な蜜を濃縮して,
 澄明な蜂蜜を巣房に満たす。/

 彼らは交尾にふけることなく,その体が,愛の悦楽のために,
 柔弱になることもなく,子を得るにも生みの苦しみがない。
 彼らは木の葉や柔らかな草から,[交尾することなく]子供たちを
 口に拾い集め,世継ぎの王と,小さな市民たちを補充する。」(邦訳p338-342,本書p36-38)

著者は,この部分について,こう解説している。「ここで語られている,蜜蜂が交尾することなく,子供を増やしていくという説明は,のちにキリスト教神学のなかで,蜜蜂が清らかな処女であり続けながら生殖を行うという観念を生み出し,教会の聖なる構成員と蜜蜂を比較する議論として展開していくことになった」(p38)。

この蜜蜂の隠喩は,「ゲラシウスの式文」(6世紀)に取り入れられた。

「我々はこの素材[ロウソク]の由来を賛嘆しながら,蜜蜂を称賛しなければならない。蜜蜂は生活において質素である。その生殖は貞潔である。彼らは液状のロウから確固とした蜜房を作る。それは人間がまねできないものである。彼らは花のなかを飛ぶが,花を損なわない。彼らは子を生まず,口で子孫を拾い集めることにより,群れを生み出す。それはちょうど,キリストが父の口から生まれ出たのと同じである。彼らは処女性を保ち,受胎することなく子を生む。彼らのキリスト教的な敬虔さは疑いえない。」(本書,p51)

そして,これが12世紀の中世盛期に引き継がれる。

「ロウソクの光は処女から生まれたキリストを表している。このように生まれたキリストは,正しい心にとっての光である。ロウはマリアの処女性を示す。処女とはロウを作り,性交なしに子を生む蜜蜂である。……ロウは処女の形相をもつ。(ラヴァルダンのヒルデンベルロゥス,本書p55)

「ロウソクはキリストであり,ロウソクにおいて三つのものがある。それはロウ,燈心,炎である。ロウは性交によって作られるのではなく,さまざまな魅力的な花から集められる。そしてこれが,燈心の回りにおかれる。燈心は火がつけられると明るく輝く。ロウはその肉である。それは聖なる聖霊の業によって,性交を伴わずに処女により受胎されたものである。燈心はロウで覆われている。そのようにキリストの魂は,肉によって覆われている。それにより輝く炎は,神性それ自体である。」(サン=ヴィクトルのフーゴー,本書p55)

このようなキリスト教のマリア=処女=聖女崇拝は,処女たりえない大多数の女性を蔑視し,抑圧するための根拠となり,またそれは男性のゆがんだ女性呪詛,性倒錯の表現でもある。

このキリスト教の性=罪,処女=聖といった倒錯した不健全な性文化から見ると,ヒンズー教の性文化は,はるかにまともで健全である。

3.日本のおおらかな性文化
では,日本はどうか。この方面の知識は皆無に近いが,たまたま岩波書店(「岩」のようにお堅い出版社)の『図書』6月号を見ていたら,四方田犬彦「日本の書物への感謝18『天地始之事』」という短い連載のなかの面白い文章が目についた。

それによると,来日したカトリック宣教師たちが苦労したのがキリスト教特有の観念の翻訳。神,天使,恩寵などは翻訳をあきらめ原語をそのまま使わざるを得なかった。

「とはいえ説明に困難なのが,virgemというポルトガル語であったことは,想像がつく。フロイスが『日本覚書』のなかで嘆いているように,当時の日本人は未婚女性の処女性なるものにいささかも価値を置いていなかった。そのためvirgemなる単語のもつ神聖さに対応する日本語を宣教師たちは発見できず,マリアは翻訳不可能なまま「ビルゼン」と記されることになった。」(p55)

当時の日本庶民はキリスト教の処女崇拝とは対極の女性観,男女関係観をもっていたようだ。だから日本庶民はフリーセックスだったというのはいささか飛躍だが,キリスト教はいうまでもなく,ヒンズー教よりも日本庶民文化は男女関係についておおらかだったとはいえるだろう。

幸い,日本性治学の蓄積もスゴイとのこと。比較性治学のため,この方面の勉強もしたいと思っている。