旧国歌の作曲者の名前、、、錯綜していますね。 名前はBakhatなのか、Bhaktaなのか、、 ミドルネームはbirなのか、bahaduruなのか、、 姓はBudhapirthiなのか、Budhapirti(or Budhapirati)なのか、、、 いずれにせよ作曲は1899年にされていた、といいます。 公式には、1925年(一説に1924年?)に時のラナ政権(Bir Shamsher)が、1899年からあったこの国王への礼曲(shahi salami)に歌詞をつけるよう、チャクラパニ・チャリセに命じて国歌にした、ということになっているようです。 伝説として伝えられているのはチャクラパニ・チャリセがインドを訪問したとき、時のインド高官から、ネパールには国歌もないんだろ、と馬鹿にされて、いや、ちゃんとあるよ、と、前からあったこの曲に即興で歌詞をつけて聞かせた、、、。というものです。(あるいは、その時に「ある」といえなくてくやしくてネパールに戻って詩をつけた、、と) そもそも旧国歌の楽曲自体、国王を礼賛するための楽曲ですから、この曲に歌詞だけを代えてつけろ、と言っても今のネパール国民が納得するはずはありません。絶対無理です。 それとも旧国歌に歌詞だけつけかえたほうがまし、というのは、谷川先生の独特のそれを分かった上での、たちの悪い皮肉でしょうか。 しかも、旧国歌の歌詞は、西洋音楽的にいって、全く楽曲にあっておらず、無理やり曲に合わせた、という感じです。まぁ、それでも慣れればちゃんと曲として歌えるものですが、、、^^; 「稚拙な」という表現は、「西洋音楽」の観点で聴いてということだと思います。確かに出だしの前奏部分から、電子楽器的な音の「稚拙な」演奏で始まっていて、とても「上手」だとはいえません。 でも、それはあくまで「演奏」および「編曲」、それから「歌唱法」に関してです。誰一人、小さいころからまともな西洋音楽教育を受けていないのですから、しかたありません。 学芸会的? いいじゃないですか。それがネパールなのだから。 国歌は全て西洋音楽的に洗練されていなければならない、という道理はないはずです。 電子楽器の使用は棚にあげておくとして、ネパールの代表的な民族楽器マーダルを使った、民謡的、あるいは国民唱歌的ともいえるこの新国歌は、ネパールらしさが出ていて、とても素敵です。