私が言いたかったのは、谷川先生の音楽的・技術的に「稚拙」だという発言について、 近代西洋音楽の価値観から見れば、「学芸会的」に聞こえるかもしれないが、 その国の文化に根ざしたものである以上、違う文化からとやかく言う筋合いはない、 ということだけです。 つまり、国歌の政治姿勢への批判以前の、文化への批判だったからです。 ですから、私は政治的な意味についてのコメントをしたのではありません。 (旧国歌の曲に歌詞だけ代えればよい、という訳にはいかない、 というコメントは多少政治的、なのでしょうか、、) 政治的なことは私は分かりませんし、政治的なことについては、 専門家である谷川先生が専門的な立場から述べられることについて、 私は何もいうことはありません。 しかしながら「稚拙」発言についてのコメントは無く、 ただ私のコメントについて「民主的でない」という反撃だけですか? 私のコメントの意味を理解できていらっしゃらないのかな、、、。 音楽を聴いて、好きだとか嫌いだとか、思うのはもちろんその人の自由です。 いうまでもなく当然のことですよ。w 好みということについていうと、私個人的には(他の多くのネパール人もそうであったように) Rato ra Chandra Suryaを推していました。この曲にならなかったのは、残念です。 (私のクラスでも授業に取り上げているくらいですw) 現時点でネパールの政治状況に関して、谷川発言はあまりにも大きい。 しかし谷川先生の議論につきあえる人はほとんどいないので、 どうしても一方的になり、谷川発言をそのまま鵜呑みに、 全て正しい、と信じ込む人も少なくありません。 谷川先生が「新国歌は稚拙だ」と書くことによって、 ネパールの新国歌は、へたくそなんだ、と思いこんでしまう人は かなりいるはずです。 それではネパールの新国歌があまりにも不憫、 アンバル・グルン大先生に対して、日本国民として失礼なことので、 敢えて申し上げたまでで、他意はありません。 私のコメントの趣旨が理解できなかったならば、しかたないですが、 意図的に曲解されたのであれば、残念です。