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Since2006/06/09 Last update 2006/06/09 by nakamura
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  新国歌制定への疑問
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 No.070804223545751632.4    07/08/08(Wed) 12:50   by  tanigawa [変更] [削除]
【 稚拙な新国歌 】への返信

1.議論がない
新国歌の公式決定というのに,少なくとも日本から見る限りでは,大手マスコミではちょうちん持ち記事以外には,議論はない。全くない。それを異常と感じないのが異常。

こんな状況では,「国王賛歌」をまだ国歌として堂々と掲げているゴルカパトラ(ライジングネパール)の方が偉い。ここにいたって,更新忘れ,はあるまい。表紙の次のページだから,確信犯だ。反動でも,無いよりはましだ。

2.新国歌と新国家の理念的矛盾
国歌は,近代主権国家(絶対主義国家,民主主義国家)が地域の多文化を弾圧し国民文化に同化させるために制定し,強制してきたものだ。

ネパール新国家は,その中央集権的近代主権国家のあり方を原理的に否定し,民族自治,多文化共生をスローガンにしている。新国歌制定は,この自らの国家理念と原理的に矛盾している。文化,民族,地域の多様性を,唯一の国歌で権力的に強制しようとするのは,マンガ的。

かつて大日本帝国は,アジア諸国植民地で「君が代」を歌わせ,民族共和,みな天皇の赤子といいつつ,実際には「2等臣民」「3等臣民」と差別し,植民地搾取した。社会主義国も,インターナショナルを歌いながら,少数民族や隣接諸国を侵略支配した。国歌や権力公認音楽は所詮そんなものだ。

3.国歌の抑圧的専制性
音楽は情感に訴えるものであり,情感は内面的作用だ。人権思想の根本は,国家権力は外面を規制し内面には介入しないということ。政教分離も同じ原理に立っている。

国歌は,この原理に真っ向から反する。国家が,本来,人の趣味に任せるべき音楽を権力的に制定し,学校等で強制的に歌わせる。これは許し難い人権侵害だ。

だから,一国の政府が定めた国歌にケチをつけるな,という批判は,根本的に間違いである。
(1)上述の通り,国歌国定は原理的誤り。
(2)グローバル化の時代,ネパール国歌はネパール人だけのものではない。それを聴く外国人が批評するのは当然。
(3)音楽は趣味の領域に属し,国家権力が決めようが共産党が決めようが,善し悪しを判断するのは聴く本人だ。政府の決めたことに文句を言わず従うべきは,「赤では止まれ」という決定くらい。だからこそ,逆にいえば。個人の好き嫌いに関することを,国家権力で決めてはならない,ということ。

4.「国王賛歌」批判と「君が代」批判
「国王賛歌」批判は,このグローバル化の時代では,「君が代」批判に直結する。ネパールの「国王賛歌」を反民主的と批判しておいて,日本で「君が代」を歌っていては,しゃれにもならない。

「君が代」はとんでもない国歌だ。「強制しない」と公約して法制化したくせに,いまや「君が代」は日本恐怖政治の応援歌だ。

東京を見よ。音楽は内面性にかかわるものであり,歌うこと,聴くことは,人々の内面的精神活動だ。それなのに,石原都政は「君が代」を教職員に強制し,従わない者を処罰してきた。2007年4月現在,381人が懲戒処分。東京を筆頭に,日本の学校は,全体主義的「君が代」支配下にあり,教職員は完全に萎縮している。

こんな足元の「君が代」専制を容認しながら,「国王賛歌」批判は出来ないはずだ。

5.価値基準の多様性と評価の可能性
音楽の評価基準が西洋近代音楽だけでなく,文化ごとに多様なことは常識だが,にもかかわらずそれぞれの文化内での客観的評価は可能だ。これはM・ウェーバー「社会科学の客観性」の第一原理で,周知のこと。尺は多様だが,それぞれの尺で計ることは出来る。

ネパールは日本に比べ小さな国だが,音楽には素晴らしいものが多数ある。ネパールやインドの音楽は決して西洋音楽に劣るものではない。それは,演歌やジャズを西洋クラシック音楽の基準で評価することがナンセンスなのと同じことだ。そんなことは小学生でもやっていない。

音楽の好き嫌いはあくまでも聴く本人のものであり,したがって国歌といえども好き嫌いは言ってもよい。石原都知事のようにそれを言わせず,権力的に強制するのは,専制だ。と同時に,音楽は好き嫌いだけではない。それぞれの文化基準に従って,良いものは良いと高く評価される。最終的には,民衆が歴史の中で音楽の評価を確定していく。

音楽は,個人的であると同時に民主的であり,同時代的であると同時に歴史的だ。この音楽こそが,あるべき政治のモデルだ。政府が決めた国歌にケチをつけるな,というのは,最も民主的でない態度である。