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  階級か民族か
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 No.070825014456345136    07/08/25(Sat) 01:44   by  tanigawa [変更] [削除]
1.民族インフレ
ネパールはいま「民族(ethnicities, nationalities)インフレ」。民族自治,民族自決,民族代表等々,「民族」がつけば恐いものなしだ。セミナーなど,「民族」産業も繁盛している。

しかし,周知のように,民族ほど恐いものはない。カースト制も王制も。民族を制度化し,パンドラの箱に押し込める工夫であり,それなりに機能してきた。ケシカラン制度ではあれ,破滅的な民族解放よりはましとはいえる。

それなのに,カースト制や王制のケシカラン側面だけを見て,それらを安易に除去し,パンドラの箱を開け,民族を野に放とうとしている。危ないぞ,これは。

2.近代民主主義と民族
近代革命は人民主権を掲げ,国民国家を形成した。国民主義,つまりナショナリズムであり,民族主義の勝利だ。

ところが,この市民革命で勝利したのは,自己を国民とすることに成功した大民族だけ。中小民族は,大民族への同化を強制され,従わなければ弾圧された。近代民主主義の民族自決は,大民族独裁民主制のことである。

3.共産主義と民族
この近代国家のまやかしを鋭く批判したのが共産主義だが,しかしその共産主義にとっても民族は難物だ。アキレス腱といってもよい。

「プロレタリアートは祖国をもたない」「万国の労働者よ団結せよ」

この『共産党宣言』の階級による民族の否定こそが,共産主義の大原則だ。こういうと,そんな単純なことはない,共産主義者は民族を重視し,民族自治を繰り返し主張してきたと反論されるかもしれない。が,史的唯物論からしても,階級つまりプロレタリアートこそが普遍性をもつのであり,だからこそ万国の労働者は団結し,世界革命に立ち上がれるのだ。共産主義にとって,民族は所詮革命の手段,道具にすぎない。

いやそれどころか,ブルジョアどもが人民主権の美名でブルジョアジーの利益を守り,しかもそのブルジョアジーも実際には自己を「国民」となしえた大民族に他ならなかったのと同じように,普遍的階級としてのプロレタリアートとは,自己を国民となし得る「歴史的民族」のことであり,あるいは世界を支配すべき「世界史的民族」のことであった。これをみても,共産主義が西洋近代の嫡子であることがよく分かる。共産主義は,フランス民主主義(ルソー主義)とドイツ民族主義(ヘーゲル主義)の継承者なのだ。

4.レーニンと民族
そんなことはない,レーニンは民族自決を強力に主張したと反論されるかもしれない。たしかに,多民族を抱えるロシアにおいては,諸民族を味方に引き込まなければ革命は不可能であり,だからこそレーニンも民族問題に積極的に取り組み,民族自決を唱えたのだ。

「民族とは,歴史的に形成された,安定した,人々の共通性である。それは,言語,地域,経済性,および文化の共通性に現れる心理状態の共通性を基盤としている」(スターリン『マルクス主義と民族問題』1913)。

レーニンは「言葉と領域」を強調するものの,民族定義はこれと基本的には同じであり,これがロシア共産党の公式の定義となっていく。

レーニンらはこの民族に自決権を与え,民族の言語や文化を尊重せよとさんざん表明したのに,どうして共産主義はユダヤ人弾圧や少数民族抑圧,さらには他民族国家侵略に逸脱していったのか?

詳しくは後述するが,それは要するに,共産主義にとっては階級は民族に優先するからに他ならない。そして,もしネパール・マオイストも共産主義政党なら,彼らの宣伝する民族自治,民族代表は,要注意だ。そもそもマオイストは,階級と民族の関係をどう考えているのだろうか?

●写真:「ラトナ公園バス停」とビラ(上の画面中央上)

*資料なしで書いているので不正確な部分があるかもしれない。誤りがあれば,後で訂正します。